気合いと激情の大学受験の思い出

その大学を受けようと決めたのは、地元女子高校の3年生になってまもなくのことです。

ガチガチの文系だった私は、「興味が出そうな英文学専攻で、そこそこのレベルの大学を…」と考えていました。
千葉県に住んでいたので、たぶん東京の大学になるだろうなと思っていたのです。
両親からは「このために貧乏生活で貯金してきたんだから、思いっきり好きな所を受けなさい。私立でも構わないし」と言われていました。

ですが、ある時読んでいた専門書を読んで、雷に打たれたような気持ちになったのです。
英文学と美術史をからめて発展させている研究書でしたが、まさに私の興味に直球ストライクの本でした。
改めて著者を調べると、京都の立命館大学で西洋史を教えている先生です。

私立でしかも一人暮らし…できるだろうか、と思う前にまず自分の偏差値との格差を調べた所、模試で「微妙に上」くらいの結果が出ました。
両親は「行け行け」ムードで応援してくれましたが、私は小さい頃から非常に用心深い性格でしたので、できる限り自分に有利な受験方法を調べたのです。

センター試験でまともにぶつかっては勝ち目はないように思えたので、担任とも相談してAO入試を受けることにしました。
とにかく、立命館に出願する理由となった先生の著書や関連書を片っ端から読み、それまでに興味を持って学んできたこと、自分が大学でどういった勉強や研究をしたいのかを、夏休みまでにがっちりとビジョン化。郵送で取り寄せた出願書に、気合いと研究に対する激情を込めて自己推薦文と出願理由の小論を提出しました。

「これがダメだったとしても、続く本試験でぶつかろう。」と思っていましたが、AO入試はかなり早く結果が出ます。
時間的な有利さはある、と思いつつ散った場合に備えて英語・現代文の受験勉強をしてきました。
滑り止めとして地元・関東の大学はいくつか考慮に入れていましたが、年末に結果が出るまでは、「とにかく立命館」という意識でした。

文学部史学科西洋史専攻の、一次試験通過の通知が来た時は倒れそうになりましたが、12月の2次面接では「小論で提出したことと同じ、先生の研究への熱意を知ってもらおう」と言う意気込みで参戦。

雪が降りしきる京都へはホテル前泊で乗りこみました。
試験場には私同様の2次試験を受ける人たちが10名ほどいました。
後から知ったのですが、この時の倍率は20倍前後だったと聞いています。
ガチガチに緊張しましたが、いざ教授陣を直前にすると「あー、あの先生の同僚ということなんだ!」という気持ちで、むしろ武道の試合の時のような高揚感を覚え、胸をはって自分の意見を述べることができたと思います。最後に「君、外見とのギャップがあるし、面白いねー」と言われたのが印象に残っています。手ごたえに関しては悔いなし!これでダメでもセンターで入る!と思っていました。

歳末も間近となった頃、合格通知が送られてきて、今度は本当に嬉し泣きでくずおれてしまいました。自分の性格や意気込みを受け入れてもらえたのだと強い感動を覚えました。

その後、晴れて京都に引っ越し、憧れの先生の授業にどっぷりとつかり込みました。
思い切り好きなことを勉強できた、宝物のような4年間でした。

そして、一応滑り止めにと受験したのが京都産業大学です。

願書は、ここで取寄せました。

京都産業大学 願書

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